千葉県房総半島

海と山の豊かな自然、温暖な気候、江戸を支えた石の文化と明治時代から栄えている酪農。東京から近いのに交通量は少ない。信号もほとんどない。東京湾フェリー、アクアライン、鉄道やB.B.BASEを使えばすぐに届く場所だ。
鋭いアップダウンをアタックしながら練習に使えるコースもあれば、風と自由を感じたいサイクリストのために海岸沿いの平坦で開いたコースもある。グラベルロードもあり、ロードバイクだけでなくマウンテンバイクでも楽しめる。
シンプルながら南房総は様々な顔を持っている。シンプルだからこそ、自転車の好きな人を惹きつける力がある。
フェッロ ・マリ・エ・モンティの発案者であるファヴァロ ・マルコは南房総の山と海、大自然と文化に触れ、この大会を通じて南房総の魅力を感じていただければと願っている。


フェッロ ・マリ・エ・モンティのスタート:金谷と鋸山

フェッロ ・マリ・エ・モンティのスタートは懐かしい街並みを残している千葉県富津市金谷地区。どこかで南国を思わせる雰囲気が漂う。
金谷の歴史と密接な関係を持っているのが、ロープウエーィで登れる標高329mの鋸山。
鋸山は神聖な山でありながら、全国最大級の石切り場跡と言われ、日本のきだいかを支えた房州石を切り出した跡を見ることができる。最盛期には年間50万本以上もの石が東京、横浜などに出荷され、横浜港、品川台場、靖国神社の塀など、膨大な量の石が東京に運ばれた。
金谷住民の約80%が石に関わる仕事をしていたというほど、その頃は金谷は石の街だった。その独特な雰囲気はいまにも残り、江戸時代から人気の観光スポットとなっている。
現在の金谷は、石からアートの街としての道を歩み出し、国内外の美術品が楽しめる金谷美術館が誕生した。そのほか近海でしか取れない黄金アジ、スイーツ、新鮮な野菜、そして温泉、カフェなどが楽しる。

里のMUJI みんなみの里、フェッロ ・マリ・エ・モンティ
◎里のMUJI みんなみの里

ferro mari e monti in boso「里のMUJI みんなみの里は、全コースが立ち寄るエイドステーション。もともと鴨川市の山中にあった総合交流ターミナル「みんなみの里」を「無印良品」が改修したおしゃれな施設で、
2018年4月にニューアルオープンした。農産物や地場産品の販売をはじめ、田植え・稲刈りなどの体験イベントの提供、鴨川・南房総地域の情報発信など都市と農村の交流拠点として活躍。この地域は田畑がミネラルをたっぷり含み、細長い形の「長狭米」が育つ。この「長狭米」は、「里のMUJI みんなみの里」で人気の商品の一つ。
みんなみの里の名前の由来は、この地域に生まれたアララギ派の歌人古泉千樫は、嶺岡山を眺め「みんなみの嶺岡山のやくる火のこよひもあかく見えにけるかも」と詠んだから、生まれたとされている

フェッロ ・マリ・エ・モンティの参加者は、みかんと地元の食材を使ったスープが楽しめるだけでなく、新鮮な野菜やフルーツを購入すれば、ゴールまで無料郵送サービスがつく。地元の農家に貢献し、地元のおいしい農産物をお楽しみください。

智蔵寺、フェッロ ・マリ・エ・モンティ◎智蔵寺
フェッロ ・マリ・エ・モンティ智蔵寺(ちぞうじ)は、南房総旧山名村に位置する寺で、ロングコースのエイドステーションになっている。崖の上から現れる美しい寺だ。
旧山名村は、寛永15年(1638)平郡、朝夷郡および安房郡池内村と共に幕府旗本三枝守昌1万石の大名領となり陣屋が置かれたといわれ、寛永17年(1640)三枝守全が3千石を諏訪頼増に分地し、天保13年(1842)松平氏の忍領となるまでのほぼ約200年間、旗本領だった。
江戸末期、智蔵寺(後に智光寺に移り、明治に山名学校となる)に寺子屋があり、そこに学ぶ子供たちにために、悲田(ひでん)と言われる土地で住民が米を生産しテ学資に当てた。進取の気鋭に富み、1973年には当時めずらしい無農薬、無化学肥料の野菜を生産し、首都圏の消費者に直販する農業を始めるなど、豊かな精神風土がある。

【智蔵寺の基礎知識】
名  称 富士山智蔵寺(曹洞宗)
創建年紀 戦国時代文亀2年(元亀2年(1571)か)
本  尊 地蔵大菩薩
開  山 大巌存高大和尚
沿革 寺伝によると、開基の武田信勝は、天目山で負けた武田勝頼の嫡男
   で、天目山を逃れ、坂東太郎(利根川)を下って上総興津に上陸し、上
   布施の真常寺を開基、その後真里谷武田氏に向かう途中、山名村に智蔵
   寺を開基したと伝えられる。
寺宝 本堂欄間「波と龍」彫刻3面 
   長狭下打墨の彫工、武志伊八郎信由と弟子森久八の作(文化15年) 
大正12年の関東大震災により、山門を残して悉く倒壊、現在の建物は、本堂、庫裏のみで、補修、再建されたものだ。

(つづく)